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評価:
カール・ユング
みすず書房
¥ 2,940
(1976-01)
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「弱い」の定義はいろいろ.敢えて言うなら、助けを求めても応えてくれる相手がいない、とか、緊急事態に助けられるのが最後になる、とか、そんな感じ.それも、結構、歪んでたりする.たとえば、人間の赤ん坊がひどい目に合わされてたニュースを見たときと、
牛が餓死したニュースを見たときと、大抵は、後者のほうに感情が動く.ときには、悲しいというよりも怒りが先に出る.激情.絶対的に守ってもらえない存在があることに怒りが動く.動物が対象だと特にそうですねぇ.ともかく、救いたいという強い感情が湧くらしい.おかげさまで、自分自身は弱いことを自覚しているので、助けてあげたい第一号というレッテルで励むことができている(^^).
牛が死ぬのは人間のせいだー…という議論がしたいわけではないよ.「それが人生さ」と新井素子が『絶句…』で表現したが、牛のお肉食ってるくせに(そのために牛たちが殺されているのに)どうこう言えましぇん(同様に電気いっぱい使ってるくせに、電力の供給源の種類にどうこういえましぇん).人間のせいかどうかはともかく、私は幼少のころから動物になみなみならぬ思いがあって、ただ、心動かされるのである.他人がどうかは知りません.私はそういう人間なだけである.
なんてことを考えていたら、5年前、カウンセラーに言われたことばを思い出した.それが、タイトルのフレーズ.「弱い立場にある対象に敏感なんだね」.そう、そのとおり.そして、それがわたしの社会性や人間同士の関係性の源泉になっている.自己満足とか自己欺瞞とかありがた迷惑とか、心理学的にいえば単なる投影だとか、いろいろあるでしょうが、それで生きる糧になるのだから、いいんじゃないの?と思っていたりする.ほかのすべてからどう思われようが、半径1メートルに入った対象がよかったと思うなら、それでいいのである(残念ながらそれ以上離れると、低血圧なもんで、アクションを起こさないパーソナリティです).
ともかく、絶対的に守ってもらえない存在となってしまった牛たちが、天国でラクチンになってくれることを祈るのである.